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The Attic Door 屋根裏への扉

アメリカ映画 (2009)

11歳のジェイク・ジョンソン(Jake Johnson)と12歳のマディソン・ダヴェンポート(Madison Davenport)が弟と姉(役柄上は9歳と12歳)を演じる不可思議な映画。時代は19世紀後半、場所はアメリカ中西部の人里離れた荒野のど真ん中、主要な登場人物は2人のみ。数日で帰ると言って馬車ででかけた両親が、ちっとも戻ってこない。2人だけの孤独で心細い生活。そして、夜、突如として聞こえる屋根裏からの異常な音。しかし、この映画はサイコスリラーではない。もっと深く、もっと衝撃的で、もっと悲しい映画だ。初の監督・製作・脚本・編集をこなした20代の若き才能だから作り上げることができた世界だと思う。

時代は19世紀としか紹介されていないが、『フランケンシュタイン』(イギリスで普及版が出版されたのが1831年)の本が登場し、風車を使った汲み上げ井戸(アメリカで最初の登場が1854年)が出てくるので、19世紀も後半であろう。場所も説明されていないが、撮影がユタ州なので、アメリカ中西部だ。隣の家まで数10キロ以上はありそうな隔絶した荒野に1軒の家があり、そこに12歳の姉キャロラインと9歳の弟ダレルが2人だけで暮らしている。数日したら、「新しい弟か妹を連れて戻る」という手紙を残して、馬車で町に出産に向かった父母が帰って来ないのだ。屋外には燃えるような太陽が輝いているが、灯油ランプしかない室内は日中でも暗い。咳いた時に血を吐いた病気の姉を庇い、弟は一人で川から桶で水を運ぶ。食卓にのぼるのは卵と野菜だけ。侘しい暮らしだ。ある夜、屋根裏で異様な音がし、居間の大きな鏡が割れ、姉が腕に怪我をする。屋根裏への扉には、初めから板が打ち付けてある。しかし、それも効果がなさそうだ。夜、弟の耳に声が囁く。「ダレル… なぜ 彼女に言わない? 真実を告げろ!」。その声を聞き、姉に向かって、「ダメだ、キャロライン! 見せかけはイヤだ!」と叫ぶ弟。この時点では、その意味は全く分からない。明くる日、弟は、朝一番で家を飛び出し、今まで行ったことがないほど遠くまで歩き、あるものを発見し、どうすべきか一人で悩む。そして、夕方家に帰ると、意外なことを口走り、屋根裏への扉を開かないようにしていた板を壊し、決然と階段を上がって行く。後を追った姉が、そこで向き合った衝撃の真実とは?

ジェイク・ジョンソンは、ごく普通の少年。表情も画一的で、口をポカンと開ける癖がある。少しボケっとして、真っ黒に日焼けして、お姉さんには頭があがらない、正直で一本気なごく普通の少年。この役にはぴったりだ。


あらすじ

映画の冒頭。弟ダレルの3行の独白が入る。「昨夜、みんなが家に戻った夢を見た。僕たちは一緒に、笑ったり食べたりした。だから、僕は、もう孤独を恐れてはいない」。当然、何のことやらさっぱり分からない。その後、幌馬車の後部の丸い幌ごしに、後ろの景色を固定カメラで延々と撮影したシーンが入る。馬車を追う姉キャロラインと弟ダレルが次第に引き離されていく。これにより、馬車で大事な人が去って行き、子供たち2人が取り残されてしまうことが分かる。その間、台詞は全くない。
  

子供部屋に置かれた大小のベッド。ダレルが姉を起こし、姉が朝食の準備を始める。ダレルは外で絞ってきた牛乳を運んでくる。手馴れた共同作業だ。朝食は目玉焼1つと、ジャガイモのバター焼き。それに、ミルク(1枚目の写真)。姉が、「今日は、帰ってくると思うわ」と話しかける。食事が終わると、ダレルは皿洗い。水道のような流水はないので、木桶の中で洗うしかない(2枚目の写真)。その直後、両親の書置きが映される(3枚目の写真)。そこには、やるべきこととして、「4.ランプの灯油は満タンに。5.お庭と植物には水やりを。6.床を掃いて家の中はきれいに。7.使った水は替える。8.風車からの水で たらいは満杯に」と箇条書きで書いてある。その下には、「どんなことがあっても、家を離れないこと。とても危険だから。数日で戻るわね。ダレルは、お姉ちゃんの言うことを聞いてね。私達が帰るまでの代役だから。2人のこと、愛してるわ。戻る時には新しい弟か妹が一緒よ」の一文も。しかし、映画の様子から、両親が発ってから数週間は経っている印象だ。
  
  
  

その証拠に、井戸から水を汲み上げる風車(1枚目の写真)が機能していない。たらいは空になって久しい(2枚目の写真)。だから、遠くの川から2個の木桶で水を運ばなくてはならない(3枚目の写真)。大変な労働だ。
  
  
  

汲んだばかりの水を、木桶からすくって飲んで「おいしいわ」と喜ぶ姉。それを聞いていて、悪さを思いつき笑うダレル(1枚目の写真)。そして、後ろ向いている姉の背中に、水をすくってかける。姉が振り返ると、そこには「知らんぷり」をしたダレルが(2枚目の写真)。その後は、水かけ合戦に発展。しかし、桶ごと水を被せられた姉は、体をかがめて咳き込むと、手には血が(3枚目の写真)。肺結核か肺癌か?
  
  
  

責任を感じ、驚きもし、姉を歩いて帰らせ、木桶を2個とも一人で運ぶダレル(1枚目の写真)。夕食の時間になるが、いつも通り、姉はすぐには食べさせない。ダレルが、「食べようよ」と言っても、「母さんと父さんが きっと帰ってくる」と待たせる。ダレル:「お腹すいた」。姉:「私も」「食べちゃいましょ」。そして、「主よ、この食事に感謝します。私たちと、母さん父さんと、新しい妹か弟をお守り下さい。アーメン」。すると、ダレルが席を立って、姉の皿に給仕をする(2枚目の写真)。姉は、「自分でやれるわ」と言うが、ダレルは姉の体が心配なのだ。
  
  

夜、子供部屋で。姉は読書、ダレルは、木の球を木のブロックにぶつけて遊んでいる。うるさいので、「どこか他の場所で できないの?」と追い出されてしまい、仕方なく、廊下にブロックを並べて、木の球を転がして当てようとする(1枚目の写真)。廊下の暗さがよく分かる。ダレルの木のブロックへの愛着は重要な伏線なので、敢えて写真で紹介した。球を投げているうちに、転がっていって屋根裏への扉の端で止まる。扉が開かないよう、板が1枚、釘で止めてある(2枚目の写真)。その時、中から変な音が聞こえる。ダレルは、子供部屋に飛んで行き、姉を呼んでくる。姉は、釘がしっかり効いていることを確かめ、「変ね」と言うが、その時、また音が聞こえる。姉:「聞こえた?」。うなずくダレル。「ただの鳥よ」。「鳥みたいじゃなかった」(3枚目の写真)。「朝になったら、もっと釘を」と言って、姉はダレルを子供部屋に連れ帰る。
  
  
  

その夜、さらなる異変が。ダレルは、音で目が覚める(1枚目の写真)。物が倒れるような音、何か重いものが引きずられる音に続き、姉の「近寄らないで!」の声がする。ベッドから飛び起きると、隣のベッドは空だ。廊下に出ると、屋根裏への扉の板が外れている。そして、「痛いわ。血が出てる」という姉の声が反対側の部屋から聞こえる。ダレルが、鍵を取りに1階に降りると、居間には家具が散乱し、飾り鏡は割れてクモの巣状にヒビが入っていた。鍵を取って、2階に駆け上げるダレル。部屋の中には、手首から血を流した姉が横になっている。ダレルは、近くにあった大きな布を手首に巻いて応急手当をする(2枚目の写真)。「横になるわ」という姉に、「ここ、危ないよ」。「母さんと父さんの部屋は?」。2人は、その晩、1階の父母の部屋で寝ることにした
  
  

翌朝、ダレルが目を覚ますと(1枚目の写真)、姉はもういない。2階から音がする。恐る恐る上がっていくと、姉は屋根裏への扉に2枚目の板を釘付けしている(2枚目の写真)。思わず、「どうして起こさなかったの?」と訊くダレル。「もう… 終わったわ」と言って、金槌を渡して去って行く姉。ダレルが、姉が怪我していた部屋を覗くと、その部屋の鏡も一面にひびが入っている(3枚目の写真)。一体これは何を意味するのだろう? 1階に降りて行ったダレル。居間はきれいに掃除されていて異変は何もない。ただ、鏡だけは割れたままだ(4枚目の写真)。姉を見つけたダレルが、「ここに いるのやめようよ。もう安全じゃない」と話しかける。しかし姉は「この前、付けた板がまだ効いてる。だから大丈夫」と反対する。ダレルが「この前は、襲われなかった」と反論しても、「母さんと父さんが 帰って来たら? 家に いなくちゃ」と受け付けない。
  
  
  
  

嫌気がさしたダレルは単独行動に出る。家を出て、歩き出したのだ。それを見て、「ダレル、待って」と呼び止める姉(1枚目の写真)。ダレルは、そのまま、嫌がる姉の手を引っ張って、家からどんどん離れ始める。「どこに行くの?」「家が見えなくなっちゃった」と文句を言っていた姉だったが、丘の上まで登ったところで「ダレル、離して。今ますぐ 止まりなさい!」と、それ以上進むのを拒否する。ダレルが「一度だけでいい、一緒に来てよ」と頼んでも(2枚目の写真)、「家に戻るのよ!」と命令し、自分だけ帰ってしまう。ここが重要な分岐点になる。ダレルは、どうすべきか、座り込んで考える。
  
  

しばらくしてダレルが家に戻ると、姉は乳搾りをしている。反省しているようなダレルの姿(1枚目の写真)を見ると、姉はさっさと手を止め、家に入ってしまう。ダレルは、その後に座って乳絞りを続ける。従順ないい子なのだ。仕事を終えて家に戻ると姉がいない。ようやく探しあてた先は地下室。ゆっくりと階段を降りるダレル(2枚目の写真)。姉は暗がりで本を読んでいる。ダレルは、「なぜ、こんな所で読んでるの?」「水 運ぶの手伝って欲しい?」と訊く。姉は、それには答えず、「シャツはどうしたの?」と問い返す。厳格な姉は、上半身裸なんて許せないのだ。「牛乳 こぼしちゃって」。姉は、急に「ハグしてくれないの?」「お詫びの意味で」と言い出す。腕で裸の胸を隠して立っているダレル。姉は、「忘れて」と言って読書に没頭。「一緒に来ないの?」とダレルが促しても(3枚目の写真)、見向きもしない。仕方なく、ダレルは一人で川まで水を汲みに行く。
  
  
  

夜、屋根裏への扉の前に立つ2人。見ている目の前で(1枚目の写真)、板を打ち付けている釘が1本、じりじりと抜けてくる。そして床に落ちる。姉は、扉に駆け寄ると、「ダレル、何か持って来て。急いで!」と言い、抜けた釘を金槌で打ち込む。すると、もう1本の釘も押し出されてきたので、金槌で打ち込む(2枚目の写真)。映画の中で一番サイコスリラー的な場面だ。ダレルが持ってきた椅子の背を、ドアノブに掛けてドアが開かないよう固定する。扉がガタガタ揺すぶられる。姉は、「砦に行きましょ」と言い出す。家を見おろす高台にあるテントのことだ。
  
  

そんな場所に行っても相変わらず本を読む姉に、「一晩中 読むつもり?」。「分からない。どうして?」。「ねえ、他のことしようよ」。「じゃあ、星を見る?」。そして、2人でテントの外に。満天の星空だ(1枚目の写真)。姉:「すごい数」。ダレル:「どのくらい 遠いのかな?」。「そんなに遠くない。もし、高い山のてっぺんに登れば、触れるわ」。19世紀らしくてすごく面白い答えだ。しかし、その後、2人の会話は別な方向に。「キャロライン?」。「なあに?」。「これって、楽しいよね?」。「もちろん」。「そうだね…」(2枚目の写真)。ダレルは、さらに続ける。「だけど、どこに行っても楽しめなきゃ。助けがいるよ。何かが起きてる」。「助けるって、誰が? 誰一人いないじゃない」。「ここは安全じゃない。もう違う」。しかし、姉は答えてくれない。
  
  

2人は、翌朝 家に戻ると、さっそく屋根裏への扉を見に行く。ドアノブの椅子もそのままだ。姉は、「言ったでしょ、止まるって。前の時みたいに」とダレルを子供部屋に連れて行く。そこで、ダレルが、「明日、誕生日やれる?」と言い出す。「母さんと父さん なしで?」。「お肉を用意するから、帰ってきても、豪華な食事できるよ」。「帰ってくるかも。でも、お肉は もうイヤ」。「殺したくない」。「いいよ。僕がやるから」。「そんなの無理よ」。「一度もやらせてくれない。できるさ」(写真)。「お姉ちゃんを助けるんだ」。
  

翌日は、誕生日プレゼントの交換会。まず、ダレルが「誕生日おめでとう」とプレゼントをもらう。開けてみるとナイフだった(1枚目の写真)。「これ父さんのだ。持ってちゃいけないよ」。「いいのよ。9歳だから。もう男なの」。「違うよ、10歳だ」(2枚目の写真)。「違うわよ、ダレル。9歳よ」。「ううん 10歳だ」。「私は12歳。年が3つ離れてるから、あんたは9歳」。姉から、「何を くれるの?」と催促され、今度はダレルが「誕生日おめでとう」と渡す。中味は化粧セット入りの箱。「すごい! これ、どこで見つけたの?」。「書斎で見つけた。母さんへのプレゼントじゃないかな」。姉は、さっそく鏡の前に行くが、ひびだらけで何も見えない。「鏡がないのに、どうやるの?」。「僕がやってあげる」。適当に顔に塗りたくるダレル(3枚目の写真)。
  
  
  

いよいよお肉の準備。鶏小屋の前に来た2人。姉が、「いいこと… これから… その斧で、首をチョン切るの」と話す。「やるよ」。「やるんなら、クレメンタインにしてね。もう長いこと 卵を産んでないから」。「ヤだよ。クレメンタインは」。「ダレル、卵は必要だし、あの子だけ 大目に見てきたのよ」。「嫌だ」。「いいのよ。お庭から 野菜をとってくるわ」。「ねえ、待って… やれるよ」。「ダレル、無理なんか しなくていいの。小さな子の仕事じゃない」(1枚目の写真)。この言葉に反発したダレル。「小さな子じゃない!」。「私が やるわ」。「ほっといて!」。そして、ためらいつつ斧を上げて(2枚目の写真)、首を切断する(画面には映らない)。夕食の時間になっても、ダレルは元気がない。姉が準備している間も、テーブルに両手を載せたまま、うつむいている(3枚目の写真)。鶏料理が出ても、手をつけようとしない。見かねた姉が、「食べなくていいの。台所にしまっておくから」と片付ける。
  
  
  

この体験が引き金となり、ダレルにかけられていた「呪縛」が解かれる。ベッドで寝入るダレルに近付き、やさしく頬に手をやり(1枚目の写真)、軽く口づけする姉。夜、尿意で目を覚まし、廊下の尿瓶で用を足したダレル。部屋に戻ろうとすると、どこからか「ダレル」と呼びかける声が聞こえる。吸い寄せられるように屋根裏への扉の前へ。椅子が、ドアノブから外れている。そして、ダレルの前まで滑ってくる。怯えるダレル。「助けて! キャロライン!」と叫んでも子供部屋のドアが閉まってしまって開かない。その時、さらに、先程の声が。「ダレル… なぜ 彼女に言わない? 真実を告げろ!」。その時ドアが開き、姉が現れる。ダレルは、「まだ、そこにいる!」と叫ぶ。そして、「ダメだ、キャロライン! フリをするはイヤだ!」と口走る。この段階では、意味不明の言葉だ。「フリをする」とは何なのか? ダレルが部屋に入ると、姉が何かを手に持っている。それをひったくったダレル。それは、一家4人を撮った写真だった。「これ覚えてる」とダレルがつぶやく。写真を取り上げる姉。「それ欲しい」とダレル。「私が預かってるから、私のよ」と奪い合いになる(3枚目の写真)。
  
  
  

翌朝、割れた鏡の前に姉が座っている。ダレルは、「腕は 大丈夫?」と訊いた後で、「割ったんだね?」と尋ねる(1枚目の写真)。鏡を割った時に、手首を切ってしまったと考えたのだ。「嘘ついたんだ」(2枚目の写真)。「そんなつもりじゃ…」。姉の正体が分かったので、姉が止めるのを無視し、ダレルは家を出て行く。
  
  

ダレルは、先日、姉を引っ張ってきた丘の上まで来ると、反対側へと降りて行く。そして平原を見はるかす(1枚目の写真)。そして、平原に降りて行き、幌馬車の朽ちた残骸と、2つの墓に見入る(2・3枚目の写真)。墓の周りには、遺体を埋めた周囲に小石が並べてある。そして、墓石の横には遺品も。状況から見て、この墓がキャロラインとダレルの両親であることは明白だ。では誰が埋葬したのか? 持って来た花束を母の墓石の横に置き、誕生日プレゼントにもらったナイフを父の墓石の横に置く。ダレルは 何を知っているのか?
  
  
  

ダレルは、丘を登り、家に向かう。登りきった所で立ち止まり、周囲の荒涼とした風景を ぼんやりと眺める(1枚目の写真)。頭の中を去来するものは何か? そのまま、その場に崩れるように座り込み、今後のあり方を考える(2枚目の写真)。広大な自然の中に一人佇む姿。寂寥感をひしひしと感じさせる。泣き声がかすかに入る。一方、姉は、心配しながら家で帰りを待っている。夕食の準備を済ませ、ひたすら待つ。暗くなって突然現れたダレル。「どこまで行ったの?」の質問は無視し、牛乳を飲み干す(3枚目の写真)。そして、猛然と食べ始める。
  
  
  

食事を終えりと、ダレルは屋根裏への扉に直行する(1枚目の写真)。2階で叩く音がするので、恐る恐る近付いて行く姉。そこで見たのは、ダレルが、斧で板を割っている姿だった。「何するの?!」と叫ぶ姉に対し、斧を向けて「近寄るな」と制止する。「母さんと父さんは、どうなるの?」。「死んだんだ、キャロライン」。「この嘘つき。嘘つきは、黙りなさい!」。「死んだんだ。僕が自分で埋めた、大昔に」。この言葉は衝撃的だ。そして、さらに続ける。「もう、フリをするのは止めた」。そう言い置くと、板を思い切り引っ張って外し、扉を開けた(2枚目の写真)。
  
  

屋根裏へと消えていくダレル。それを追って、板を手に持って恐る恐る階段を登る姉。屋根裏で「ダレル?」「出てきて」と小声で呼びかけて弟を捜す(1枚目の写真)。しかし、現れたのは、あのダレルではなく、80歳を超えた老人だった(2枚目の写真)。「ダレル? どうなっちゃったの?」。「君は病気だ。それに、死にかけてる」「もうフリをするのは 嫌なんだ」。すると、今度は、同様に80歳を超えた老女の姿が一瞬映る(3枚目の写真)。姉の現在の姿だ。向かい合う2人。「こんなの嫌。まだ 終わってない」と老いた姉が言う。「終わったんだ」。つまり、これまで老いた2人は、子供のフリをして暮らしてきたのだ。
  
  
  

翌朝、父母の部屋で寝ている2人。8歳と12歳だ。先に起きたダレルが、姉の胸に耳を当てる。まだ生きているか鼓動を聞いているのだ(1枚目の写真)。「何してるの?」。「別に」。実際には2人とも老人のはず。姉の死が近いので、ダレルは姉の前でだけ、フリを続けることにしたのだ。だから、朝食の用意のため鶏小屋に卵を取りに行くのは、もうフリをしていない80歳の老人。朝食の用意を済ませ、搾り立ての牛乳をコップに注ぎ、体の弱った姉のベッドまでトレイに載せて運んでいく。台所での姿は老人(2枚目の写真)。姉の寝ている部屋では、フリをして子供に戻っている(3枚目の写真)。姉は、朝食を「ありがとう」と言って受け取り、「父さんが 家を建てた時のこと 覚えてるわ」と話す。「この部屋が欲しかった。でも、あんたが怖がるから、守ってやれって言われたの」。姉はあくまで「フリ」で押し通す。
  
  
  

老人のダレルが川から水を汲んで戻って来ると、ベッドに姉の姿がない(1枚目の写真)。ベランダに出てみると、姉が、ロッキングチェアにぐったりと横になっている(2枚目の写真)。子供のダレルは、「キャロライン?」と声をかける。しばらく原野を見ていると、急に姉が頭をもたせかけてくる。そして、最後の遺言のように、「水はたっぷり飲んでね」と語りかける。「そうして欲しいなら、そうするよ」。それを聞いて、安心したかのように頭を元に戻す。その姿を見たダレルは(3枚目の写真)、万感の思いを込めて、その顔に軽く口づけする。微笑む姉(4枚目の写真)。2人が老人同志だと思えば、この口づけは、最後の別れを意味する。そして、微笑みは、最後まで従順に尽くしてくれた優しい弟への感謝の気持ちか。
  
  
  
  

その後、姉キャロラインの顔をアップになると、画面が、冒頭の幌馬車を追いかけるシーンに変わる。これは、姉の死を抽象的に表現したものだ。姉が死んで、ロッキングチェアの遺体は老婆に戻っている。そして、向こうから老ダレルが近付いてくる(1枚目の写真)。ダレルは遺体を両親の墓まで運び、隣に埋葬し、同じように墓石を立て、周りを小石で囲んだ(2枚目の写真)。そこで、冒頭の独白が再び流れる。「昨夜、みんなが家に戻った夢を見た。僕たちは一緒だった。だから、僕は、もう孤独を恐れてはいない」。この老人は、荒野の真っ只中、これから一人で孤独な生涯を送ることになる。死んでも、誰も墓に埋めてくれる者はいない。こんぼ独白は、それでも、何とか生きていけるという、悲しい宣言だったのだ。
  
  
  

これがエンディングと思いきや、続きがあった。老ダレルは家に戻ってきて子供部屋に入ると、自分の小さなベッドに腰をかけてしばらく考えた後で(1枚目の写真)、床に腰を降ろし、お気に入りの木のブロックで遊び始める(2枚目の写真)。外見は年老いていても、心は9歳のままなのだ。
  
  

ダレルは、、しかし、いろいろ辛い体験はしたはずだ。ずっと昔、帰ってこない両親を捜して、馬車の通った道をずっと歩いて行き、遭難現場に辿り着いたであろう。そして、何とか埋葬した。そのことは姉には内緒にしておいた。そこまでは想像できる。だが、子供ごっこ、不思議な「フリ」はいつ始まったのだろうか。そして、それは、なぜ? 姉は常に現実を見ることを恐れてきたように見える。姉思いの弟は、それに合わせようとしたのかもしれない。あるいは、年老い、死を意識した時、すべてを忘却の彼方に追いやり、楽しく生きるためのゲームとして始めたのかもしれない。何れにせよ、仮想の世界は、2人にとって現実の世界となり、そこに同化することに生きがいを感じるまでになっていた。その時出現した屋根裏への扉をめぐる「現象」とは、結局何だったのだろう。扉は、現実を封じ込めるための心理的バリアの象徴なのか? そして、そのバリアは、過去に埋葬した両親の墓を「再発見」したことで、破られてしまったのか? 何れにせよ、これほど悲しくて寂しい映画はない。余分な一言。灯油はどうやって補給したのだろう?

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